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0 はじめに:相談事例
海外市場への新規進出を加速させている事業者の方から寄せられた、具体的な相談事例をご紹介いたします。
【相談者】
愛知県内で産業用機械の製造販売を営む株式会社Gの代表、H氏
「【相談事例】
「当社ではこれまで国内取引を主軸としてきましたが、数年前から東南アジアや中東諸国への輸出を開始しました。先日、長年取引のあった中東の現地の有力な販売代理店から、多額の機械発注を受け、船積みの準備を進めていました。ところが、その国の政情が急激に悪化し、政府による外貨送金規制が突如として導入されました。さらに、現地の取引先も資金繰りが悪化し、倒産の危機にあるとの情報が入りました。このままでは、製造済みの機械を輸出することもできず、すでに輸出した分の代金回収も絶望的です。民間損害保険会社の海上保険には加入していますが、このような政治的混乱や相手方の倒産による損失はカバーされないと言われました。貿易保険というものがあると聞きましたが、具体的にどのようなリスクをカバーし、どのような法的な手続きが必要なのでしょうか。また、当社のケースで今からでもできる対策はあるのでしょうか」
H代表が直面している事態は、海外取引を行う全ての事業者が常に意識すべきリスクです。国際貿易においては、輸送中の事故といった物理的な損害だけでなく、相手国の政情不安や取引先の信用失墜といった経済的なリスクが常に付きまといます。これらのリスクを公的に補完するのが「貿易保険」の役割です。本日は、貿易保険法に基づき、その仕組みと実務上の重要ポイントを解説してまいります。
1 貿易保険の定義と根拠法
貿易保険は、民間の保険会社では引き受けることが困難な、海外取引に伴う特殊なリスクをカバーするための公的な保険制度です。その根拠となるのが、貿易保険法です。
この法律は、通常の保険によって救済することが困難な輸出取引、輸入取引その他の対外取引において生ずる危険を補塡する保険の制度を確立し、もつて対外取引の健全な発達を図ることを目的とする。
この条文にある通り、貿易保険は「通常の保険(海上保険や火災保険等)では救済困難なリスク」を対象としています。事業者は、通常の運送保険が「物」の損害を対象とするのに対し、貿易保険は「代金回収」や「輸出不能」という経済的利益を対象とするものであることを理解しなければなりません。
貿易保険業務は、以前は国(経済産業省)が直接行っていましたが、現在は独立行政法人日本貿易保険(NEXI)がその引き受けを担っています。
2 貿易保険がカバーする二大リスク:非常危険と信用危険
貿易保険法および各保険種別の規定において、補償対象となるリスクは大きく「非常危険」と「信用危険」に分類されます。
(1)非常危険(政治的・不可抗力的なリスク)
非常危険とは、輸出入の当事者の責任に帰することができない、相手国の政情や予期せぬ事態によって発生する危険を指します。
関係法令に基づく定義の要約
1.外国における為替取引の制限又は禁止
2.外国における戦争、革命又は内乱による送金不能
3.日本国内または外国における輸出入の禁止または制限
4.外国における戦争等による運送の途絶
H代表の事例にある「送金規制」や「政情悪化による輸出不能」は、まさにこの非常危険に該当します。これらは事業者自身の努力では回避不可能なリスクであり、公的な貿易保険の存在価値が最も発揮される部分と言えます。
(2)信用危険(取引相手に起因するリスク)
信用危険とは、取引相手であるバイヤー(輸入者)側の事情によって発生する危険を指します。
代表的な信用危険の事例
1.バイヤーの破産、会社更生手続きの開始、民事再生手続きの開始
2.バイヤーによる代金支払いの遅延(一定期間以上の延滞)
3.バイヤーによる一方的な契約の破棄(受取拒否等)
信用危険は、相手方の経営状態や誠実性に依存するリスクです。貿易保険では、事前にNEXIが相手方の信用状態を格付けし、その格付けに応じた範囲内で保険金が支払われる仕組みとなっています。
3 貿易保険と民間保険(海上保険)の違い
事業者が混同しやすい「海上保険」と「貿易保険」の違いを整理することは、適正なリスク管理の第一歩です。
海上保険は、貨物が海難事故や火災によって滅失・損傷した場合の「物の損害」を填補します。これに対し、貿易保険は「代金が回収できない」「輸出ができなくなったことによる損失」という「金銭的損害」を填補します。
例えば、船が沈没して貨物が失われた場合は海上保険の対象ですが、貨物は無事に届いたもののバイヤーが倒産して代金が支払われない場合は貿易保険の対象となります。また、戦争が勃発して貨物が積み込めなくなった場合の損失も、貿易保険の非常危険としてカバーされます。
4 事業者のための貿易保険リスク分類表
貿易保険でカバーされるリスクの具体例と、その分類を以下の表にまとめました。ワードデータ等に貼り付けて、自社のリスクチェックにご活用ください。
5 海外商社名簿と格付け制度の実務
貿易保険を利用するためには、取引相手である海外企業がNEXIの「海外商社名簿」に登録されている必要があります。この名簿には、世界各国の企業の信用状態に基づいた「格付け」が付与されています。
(1)格付けの種類
NEXIの格付けは、A、B、C、D、E、F、G、H、Sなどの符号で表されます。この格付けによって、保険を引き受けることができる金額の上限(引き受け限度額)や、保険料率が決定されます。
(2)海外商社登録の手続き
もし取引を検討している相手が名簿に登録されていない場合、事業者は「海外商社登録申請書」を提出する必要があります。この際、対象企業の決算書や信用調査レポートを添付することが求められます。
【実務上の注意点】
相手方の信用状態が悪すぎる(例えばF格やG格など)場合、非常危険はカバーされても、信用危険(倒産等)による損害は保険の対象外となることがあります。H代表のような事態を防ぐためには、契約締結前の早い段階で、相手方の格付けを確認し、保険が付保可能かどうかを把握しておくことが不可欠と言えます。
6 貿易保険の種類と事業者の選択
事業者の取引形態やニーズに合わせて、様々な保険種別が用意されています。
1.貿易一般保険
最も汎用性の高い保険で、輸出不能や代金回収不能を幅広くカバーします。2年未満の短期取引が主な対象です。
2.輸出代金保険
船舶やプラントなど、支払期間が長期にわたる取引に適した保険です。
3.貿易代金貸付保険
銀行が輸出者に対して融資を行う際、その回収不能リスクをカバーする保険です。
4.中小企業・農林水産業輸出代金保険
中小企業向けに手続きを簡素化し、少額の取引から利用できるように設計された保険です。
中小規模の事業者の場合、商工会議所などを通じて加入できる「包括保険」を利用することで、個別の登録手続きを簡略化し、割安な保険料でリスクヘッジを行うことも可能です。
7 保険金支払いまでの流れと事業者の義務
事故が発生した場合、事業者は速やかに所定の手続きを行う必要があります。
(1)事故発生の通知
貿易保険法および保険約款に基づき、事故が発生したこと、あるいは発生するおそれがあることをNEXIに対して遅滞なく通知しなければなりません。これを「事故通知」と呼びます。
(2)損害の防止軽減義務
保険に加入しているからといって、放置してよいわけではありません。事業者は、損害を最小限に抑えるための努力(催促状の送付、商品の転売、法的手段の検討等)を行う義務があります。これを怠ると、保険金が削減されたり、支払われなかったりする可能性があります。
(3)代位権の行使
NEXIから保険金が支払われた後、代金を回収する権利(債権)はNEXIに移転します。これを「代位」と呼びます。事業者は、保険金受領後もNEXIが行う債権回収の協力を行わなければなりません。
8 弁護士および通関士の視点によるアドバイス
貿易保険は強力な武器ですが、万能ではありません。法的な観点から、事業者が留意すべき実務上のポイントを整理します。
(1)契約書における不可抗力条項との整合性
貿易保険の「非常危険」と、売買契約書上の「不可抗力(Force Majeure)条項」は密接に関係します。契約書で「戦争が発生した場合は無条件で契約解除できる」としていた場合でも、保険金が支払われるための要件を満たしているか、精査が必要です。
(2)立証資料の整備
保険金を請求する際には、適正な輸出が行われたことを証明する輸出許可書や船荷証券(B/L)、相手方との交渉記録などが不可欠です。通関手続きが適正に行われていない場合、保険金の支払いに支障をきたすおそれがあります。
(3)信用調査の定期的な実施
一度格付けを取得しても、相手国の経済状況や企業の経営状態は刻一刻と変化します。定期的に海外商社名簿をチェックし、格付けの変動に注意を払うことが重要です。
9 貿易保険違反と法的なリスク
貿易保険の利用にあたって虚偽の申告を行ったり、重要な事実を隠蔽したりした場合、厳しい制裁が課されます。
また、不適切な輸出実務(外為法違反等)を伴う取引については、そもそも貿易保険の対象外となる点にも注意が必要です。
10 結びに代えて:グローバル競争を勝ち抜くための盾として
海外取引には、国内取引では想像もつかないようなリスクが潜んでいます。しかし、リスクを恐れて足踏みをしていては、グローバル市場での成長は望めません。貿易保険は、事業者が果敢に海外へ打って出るための「最強の盾」となります。
H代表のようなケースでも、事前に貿易保険を付保していれば、送金規制や相手方の倒産による損失の大部分をカバーでき、会社の資金繰りを守ることが可能でした。今からできる対策としては、既存の取引先の格付けを再確認し、今後の契約において保険付保を条件に組み込むなどの体制整備が挙げられます。
当事務所は、代表弁護士が通関士資格を有しており、輸出入の実務から貿易保険を巡る法的トラブルまで、一貫してのサポートが可能です。
【お問合せは、こちらから】
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執筆:有森FA法律事務所 代表弁護士有森文昭(詳細プロフィールは、こちら)
(注)2026年3月時点の法令に基づき内容を改定
本記事は2026年3月現在の法令に基づいた一般的な情報の提供を目的としています。個別の事案については、具体的な状況により判断が異なるため、必ず専門家にご相談ください。

有森FA法律事務所の代表弁護士、有森文昭です。東京大学法学部および法科大学院を卒業後、都内の法律事務所での経験を経て、当事務所を開設いたしました。通関士や行政書士の資格も有し、税関対応や輸出入トラブル、労働問題など、依頼者の皆様の多様なニーズにお応えしています。初回相談から解決まで一貫して対応し、依頼者の最良のパートナーとして、共に最適な解決策を追求してまいります。

